who are you

プライベートで人に会った時、その方がよく知ってる人でも初めて会う人でも、会話の最初に「今、何してるの?」「何をなさっているのですか?」というやり取りから入ることは珍しくない。こう訪ねられた時に、答える内容は大抵の場合「職業」である。聴いた方も職業や仕事に関することを答えてくることを期待している。このやり取りが、自分には鬱陶しくてしょうがない。

以前は、このやり取りに特に疑問を感じなかったし、違和感もなかったのですが、気がつけば鬱陶しいと感じるようになっていました。色んなイベントごとや勉強会などに参加するようになった2012年頃。シャープ株式会社を退職した後はさらに強く感じることになりました、なにしろ無職の期間においては、答えることがないのですから。

若い頃どう感じていたかはもう覚えていないのですが、少なくとも現在は、大企業に勤めている(いた)ことを積極的にアピールしたいと思わないですし、それが自分の価値を表すものではないと感じています。もちろん、大企業でしか経験できなかったこともあり、そこでしか出会えなかった方々もいらっしゃるわけで、そういった「経験」については誇らしく思っています。しかし、そこで働いていたことを言うだけで、それらの経験が伝わるわけでもないのです。

しかし、様々なシーンで「どんな仕事をしているのか?」を問われることは多く、現在もその説明に困ることはあります。「ソフトの開発の仕事をしています」といっても、「どういう系統ですか?組込みですか?」と聞かれる、そこに説明を追加すると「あー、業務系ですか?」と更に確認を求められる。「それ聞いてどうするの?その先に何か話の発展はあるの?」と思ってしまう。

今、この話題を取り上げる理由は、つい最近同じようなことについて友人と話したからです。その友人も、自分がやってきたことを並べてみて、「自分が何者かを説明するのは難しい」と言っていたのですが、おそらく「そこに挙げられることが自分のすべてではない」というもどかさしさもあるのではないか?と思いました。その方は、人間性が豊かで話していて職業上で経験した以上に素晴らしいものを持っている方なのです。それを職業上の経験だけで人としての価値をすべて決められてしまうのは、あまりにももったいない。

職業のことを一切聞くな、というのではありません。それが必要なコンテクストにおいては、その話題を持ち出すことを拒否しません。ただ、プライベートで会った最初の会話が「何をなさっているのですか?」である必要は無いのでは?そう感じています。私のアイデンティティやひととなりは、職業だけで判断できるものではないのです。

photo credit: Shantell Martin 27 via photopin cc

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