奈良には天理市というところがあって、天理教の総本山がある。その天理教で「天理教教祖120年祭」というのが今日あったらしい。
元々、天理教にとって26日というのは特別な日なので毎月26日は天理市内とその周辺は車が混むのだが、今日は120年祭ということでさらに全国各地から信者が集まってきているらしい。天理市内には車を誘導する立て看板があちこちに立てられ、一部の道路では交通規制もあったらしい。それに近鉄では昨日から明日までの3日間天理行きの臨時列車が出るらしい。
とにかく、天理教のお祭りとなると社会現象といってもいいぐらいの状態になる。そんな日と研修(研修所は天理にある)が重なってしまい、今朝も家を早く出たのだけれど、幸い渋滞にあうことはなかった。帰りは天理駅まで歩いたけれどそれほど混んでる様子はなかった。バスはよく見かけたけれど。
ところで、天理教教祖120年祭って何?
「天理教」….それはわかる。
「教祖」……天理教を始めた人だということはわかる。
「120年祭」…120年の節目のお祭りだということはわかる。
で、一体何から120年なんでしょうか?教祖が生まれてから?それなら生誕120年だし、
天理教が始まってから?それなら天理教120年祭だろうし、何を起点に120年なのかさっぱりわからない。
何なんでしょ?
まあそんだけ近くに住んでるなら道行く信者にちょっと聞いてみれば?というきがしなくもない(強引に連れ込まれたりはしないでしょう)けど、教祖が亡くなってから1年祭、2年祭と続いてきた祭典のことだと思います。
天理教の信者は教祖が亡くなるなど、考えてもいなかった(ある種の超人だったため)から、生誕や立教などに比べ、信じられないという大変なインパクトが当時あったようです。
結局それまでは教祖の超人的な力をよりどころ(背景)に人々が教化されていったのですが、それ以降は残った信者たちが自分たちだけで布教をしなくてはならなくなり、教祖の精神を忘れないようにと集ったのが1年祭だった?(不正確かもしれません)と思います。
存命中はどこかの宗教みたいにいちいち祭りはしなかったので、天理教では年祭というとこの行事をいうようです。(何祭って言えばいいのかね)