ずっと前から行きたいと思っていた「呉」。念願かなって9月7日〜8日にかけて呉と江田島(えたじま)へ行き、海上自衛隊の関連施設を見て回りました。一日目は各々自由行動でしたが、二日目は途中合流組も含めて総勢16名の一大ツアーですよ^_^
- 海上自衛隊第一潜水隊群司令部前
- 歴史の見える丘
- 入船山記念公園
- 大和ミュージアム
- てつのくじら館
- 海上自衛隊第一術科学校
記事の中にも写真はありますが、Flickrの方にアップしています。説明が無いと何のことだかわからないと思いますが…^_^;
呉、江田島へ@Flickr
海上自衛隊第一潜水隊群司令部前
まず最初に向かったのは、「海上自衛隊第一潜水隊群司令部前」今回、とにかく潜水艦を見たかったので、ここに来ました。ループバスを使ったのですが、ループバスは本数が少なくて帰りの時間が中途半端になるので路線バスを使った方がよかったですね^_^;
いましたいました、三隻ぐらいいたかな。関係者の家族らしきグループが潜水艦に近いところを歩いててちょっと羨ましかった…
歴史の見える丘
ここからは戦艦大和が建造されたドックが見えます。ドックの大きさは大和建造当時よりも短くなっていますが、それでもこれだけの大きさがあります。
周囲には、戦艦大和にちなんだ記念碑や塔も立っています。
入船山記念公園
旧呉鎮守府司令長官官舎や旧東郷邸等があり、様々な展示が行われています。
でも、その前に呉地方総監部をパチリ。当たり前ですけどここは入れません。
敷地内に入ると左手に休憩所がありますが、これは東郷平八郎の旧邸だったものだそうです。休憩所なので中に入ることもできます。
ここは火薬庫だったところで、弾丸、砲弾、手榴弾などが展示されています。
郷土館では、呉の風土や歴史を展示しています。他でも当時の軍服を見ることができますが、やはり昔の日本人は体が小さかったんだということが分かります。
旧呉鎮守府司令長官官舎は和風と洋風の二つの建物からなっていて、途中で和洋が変わるという変わった建物です。
大和ミュージアム
ここも今回の大きな目的の一つです。戦艦大和の1/10モデルを始め、海軍関係の展示があります。1/10戦艦大和は長さ比であって容積比ではないので「これで1/10?」とも思えるのですが、それでもやっぱり迫力はあります。
各種装備も忠実に
上空から見るとこんな感じ、人間の大きさと比べるとよくわかります。
他にも「零戦」や人間魚雷「回天」の展示が。
回天の展示前には回天で出撃し亡くなった塚本太郎大尉(出撃時点は少尉で戦死後大尉に特進かもしれません)の肉声で録音された遺書とそれを書き起こしたものが展示されていて、肉声のもを聴くことが出来ます。録音ということで多少緊張していたのかやや棒読みな印象はありますが、出撃への決意と残される家族への強い思いが感じられ、涙無くしては聴けないものでした。遺書の中で「大東亜建設のため」という趣旨のことが述べられているのですが、「お国のため、天皇陛下のため」ではなく「大東亜のため」というところに個人的には強く関心を持ちました。当時の日本の状況というのが現れているのではないかなと思います。
大和ミュージアム前の大和波止場には、戦艦大和の艦橋から舳先までの左半分を実物サイズで再現しているところがあるのですが、甲板部分は木製になっていますのでその上を歩くとまるで本当に大和の甲板を歩いているかのようです。ここも今回訪問した中で感動的なところでした。
実物大の主砲がタイルで描かれています。
夜はお好み焼き宴会
一日目はこれで終了、夜はみんなでお好み焼き宴会でした!
呉駅前のレクレの中にある「五右衛門」というお店に行ったのですが、メニューが豊富でどれも美味しかったです。大勢だったので色んなメニューをシェアして楽しめたのがよかったですね。なにより気の置けない友人達とワイワイやるのがいい!
そして一部のメンバーでまぜそばへ。要は汁無し麺ですね、丼の中に入ったタレと麺を絡めて食べる、そんな感じです。これも美味しかったです!
てつのくじら館
二日目は朝からてつのくじら館。潜水艦大好きの自分がどうしても来たかったところです^_^。ここは潜水艦と掃海艇(機雷の除去を行う艦)中心の展示が行われています。
写真に写っているのは退役した潜水艦「あきしお」でこれが建物と繋がっていて中に入ることが出来ます。
写真はたくさんあるのですが、潜水艦内部の写真を何枚か。操縦席に座って操縦桿を触ることが出来たのも嬉しかった。
海上自衛隊第一術科学校
フェリーで海を渡って江田島へ、途中護衛艦「せんだい」を見ることが出来ました。「いせ」も居たけど遠かった…ちなみに「せんだい」は「仙台」じゃなくて「川内」で川内川からとった名前です。
正面もカッコいい
そして学校に到着
まずはお昼ご飯に「海軍カレー」海軍、海上自衛隊といえばカレーですからね!
ここも色々写真はあるのですが、趣があるといえば大講堂と幹部候補生学校ですね。
こちらが大講堂。
こちらが幹部候補生学校。さすがに中は改装されているらしいですが、外観はそのままだそうです。
ここで写真を撮っている時にたまたま制服の自衛官が一人向こうから歩いてこられたのですが、まるで映画の一シーンのようでした。
ここでも様々な展示や施設を観ることが出来たのですが、一番感動したのは「教育参考館」でした、ここは写真撮影不可です。ここは卒業生積み立てや企業の寄附によって建てられたものなのですが、勝海舟の時代からの各種資料や旧海軍兵学校時代の卒業写真などが展示されています。
軍隊といえば日本では悪者イメージ、ましてや大東亜戦争に従軍したというと特にです。しかし、この教育参考館では日本を守って来た先祖に対する敬意と同じく日本を守ってきた自分たちを卒業生の方々が誇りに感じていることがひしひしと伝わってきます。
充実した二日間でした
日頃観られない施設を観られたこと、またそういったところを大勢の友人達とワイワイ回れたこと、色んな意味で充実した二日間でした。二日目が終わって帰るのは少し惜しかったのですが、充実度が高かったので大満足で帰ることができました^_^
国防について
最後に国防ということについての自分の考えを少し述べたいと思います。
日本は今、憲法改正とか近隣諸国との関係とか「国防」ということについて喫緊の課題を抱えています。「日本は戦争放棄を憲法で決めているのだから自衛隊は違憲だし不要」という意見ををお持ちの方もいますが、私は防衛力たる自衛隊は必要だと考えています。
お断りしておきますが「戦争をやりましょう」と言っているわけではありません。「戦争を回避し自分の国の主権を守るための防衛力が必要」ということです。
今でこそほとんどの国は主権国家として国際社会に認められる形で存在していますが(一部揉めているところもあります)、大東亜戦争終結後あたりまでアジア・アフリカの多くの国は欧米諸国の植民地だったのです。
今ならどこかの国が他国を植民地化するなんて考えれないですし、あっという間に批判を浴びて制裁を受けるでしょうけれど、日本を含め国際社会全体が今程成熟していなかった当時は植民地化ということが行われていたのですね。
少し話が変わりますが、日本の軍隊の歴史は明治維新後から始まります。長い鎖国で文明的にも軍事的にも劣っていた日本は、不平等な条約を押し付けられるなど西洋列強からは見下されていました。しかし、先人の努力により文明的にも軍事的にも大きく成長し西洋列強に対抗する外交力が持てるようになったのです。
もし日本がこのような成長を遂げなければ他のアジア諸国と同じように植民地化していたかもしれません、現在では到底想像出来ないことですが。このように先人の努力があって現在の日本の地位があるのです。
つまり軍事力というのは外交を支えるための基礎力なのでは無いかなと思うのです。大東亜戦争に負けて日本が軍隊を持つことは悪いことのように言われますが、軍隊を持たないということは外交力が弱まるということになるのではないかと考えています。
大東亜戦争についても日本がアジア諸国を侵略した戦争だと考えておられる方もいらっしゃるようですが、私は日本の主権を守る戦争だったと思います。
大東亜戦争前の時点でアジア諸国は欧米諸国から植民地支配を受けていて、大東亜戦争をきっかけに独立した国が多いということも忘れてはいけないと思います。「日韓併合」は条約に基づいて行われたことであって、日本の統治下ではハングル語の復活、国民の平等化、悪しき習慣の廃止が行われその後の朝鮮半島の発展に繋がったものでもあると思います。長くなるので書きませんが「大東亜共栄圏構想」とそういう考え方が起こった経緯について認識を持った上でなければ大東亜戦争の意味が正しく捉えられないのではないかと思います。「大東亜共栄圏構想」そのものに懐疑的な見方があるのも分かった上でです。
繰り返しますが戦争には反対です。しかし主権を守ることも大切、日本が他国の主権を侵すための戦争を行わなければ憲法の戦争放棄とは合致する、ただし他国が日本の主権を侵す可能性があるならばそれを守るための準備は必要、と私は考えています。
そんなことを改めて感じた二日間でした。