asahi.comの記事より引用
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島県泉崎村で白髭広ちゃん(当時3)が十分な食事を与えられず死亡した事件で、保護責任者遺棄致死罪などに問われた、父親で無職白髭功被告(40)=同村北平山=の初公判が1日、福島地裁(大澤廣裁判長)であった。検察側は冒頭陳述で、白髭被告が子供部屋や台所に防犯センサーや盗聴器を設置し、子供たちが勝手に食事しないように監視していたことを明らかにした。

 白髭被告は「間違いありません」と起訴事実を認めた。
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全然理解できません。

最近のニュースでよく取り上げられているものに「学校でのいじめ」がある。実際、ここしばらくの間でいじめを苦にしたと思われる自殺がいくつか報道されている。

その一方で、いじめによる自殺は無いとか学校内でいじめは確認できないとかいうことで、家族(特に自殺者の遺族)と見解が一致していないことがほとんど。

問題の一つとしては、そもそも”いじめ”とは何か?どういう状態に陥ればそれは”いじめ”なのか?という定義の部分がはっきりしていない。はっきりしていないままなのでいつまでたっても平行線のままなのだろう。みんな分かっているはずなのにそれが出来ていない。もしかしたら、定義づけをしたくない人たちがいるのかもしれない…

定義づけをしようがしまいが、いじめというのは存在する。もし存在しないなら、どうして”いじめ”という言葉があるのか?状態が存在するからこそ、その状態を指す言葉も存在するのである。

学校(教育委員会)や政府としても放置できる問題では無いとはずなのだが、どうしてこうも問題を解決しようという姿勢にならないんだろうか?頭を低くして、時間が過ぎればみんな忘れてくれるとでも思っているのだろうか?

今話題になっている高校の必修科目の履修逃れ事件、最初は履修漏れ(学校の不手際)だったのかと思っていましたが、そうではないのですね。受験に必要な科目に重点を置くための(本当の意味での)確信犯。それじゃ、ちゃんと正規の必修科目をクリアして受験に臨んでいる高校生たちが可哀想。
もっとも、履修逃れがあったところも生徒が望んでそうしたんではないと思うけれど。

結局、みんな大人が悪いんだよね。最近のこういう事件は一つ発覚すると、あちこちで出てくるね。飲酒運転も履修逃れも今までみんなやってきたってことだね。