今日は、なんばHatchへGodiegoのコンサートへ行ってきました。会場のなんばHatch自体が狭い上に席が最前列だったのでかなり近くで観られました。

でも、端の方だったのでギターの浅野さんの弾いてるところを観られた無かったのが残念かな。

演奏曲目は知ってる曲よりも知らない曲の方が多かったかな?後半は知ってる曲が多かったです。それにしても日本人のグループ(といっても二人は外人だけど)なのに歌詞がほとんど英語ってのも不思議な感じです。

昔から大ファンのママは最初から最後までノリノリでした。年齢層も全体的に高かった、まぁ結成30年のバンドだもんね。途中のMCはメンバー同士でツッコミがあったりして面白かった。こういうのがバンドのいいところだね。

ママは12月24日(クリスマスイヴ!)にお父さんと里紗をほっといてディナーショーにも行きます。今日はコンサートの前にその時の服も買いました。ディナーショーのチケットに服代を合わせると約20万円コース!(@_@;。そんだけあったら、カメラ買えるよ…

Nike OsakaでNike +対応のシューズを買いました。今履いてる靴はもう十数年履いてて裏が破れてきているので、いいタイミングです。(もっと早くてもよかったのですが)

値段の安いAIR MAX 90 LACEにするつもりだったのですが、実物を見てAIRじゃなくてヒール部分にスプリング式のショックが入っているものにしました。店で少し歩いてみましたがショックの感じはよくわからなかった。でも、今履いてるシューズは何のショック吸収機構も入っていないので長時間走ったり、歩いたりすれば違いがわかると思います。多分…

最近のニュースでよく取り上げられているものに「学校でのいじめ」がある。実際、ここしばらくの間でいじめを苦にしたと思われる自殺がいくつか報道されている。

その一方で、いじめによる自殺は無いとか学校内でいじめは確認できないとかいうことで、家族(特に自殺者の遺族)と見解が一致していないことがほとんど。

問題の一つとしては、そもそも”いじめ”とは何か?どういう状態に陥ればそれは”いじめ”なのか?という定義の部分がはっきりしていない。はっきりしていないままなのでいつまでたっても平行線のままなのだろう。みんな分かっているはずなのにそれが出来ていない。もしかしたら、定義づけをしたくない人たちがいるのかもしれない…

定義づけをしようがしまいが、いじめというのは存在する。もし存在しないなら、どうして”いじめ”という言葉があるのか?状態が存在するからこそ、その状態を指す言葉も存在するのである。

学校(教育委員会)や政府としても放置できる問題では無いとはずなのだが、どうしてこうも問題を解決しようという姿勢にならないんだろうか?頭を低くして、時間が過ぎればみんな忘れてくれるとでも思っているのだろうか?