このことを書くつもりはなかったのですが、最近目にした文書がありひとつの裏付けとして参照できるものだったので、記録として書いておくことにします。

私は、昨年末をもって約20年在籍した教会を去りました。現在は所属する教会がない状態です。私が所属教会を去る理由になったことのひとつがこの文書の内容と関係があります。先のリンクがオリジナルの文書ですが、いずれなくなってしまうかもしれないので、別の場所にアップロードしたものをこちらにリンクしておきます。

この文書は、私が所属して(いた)「日本聖公会」が今年のイースターに発信した書簡です。ちなみに「聖公会」とはイギリスの国教会で、その日本版が「日本聖公会」です。イギリスの国教会というと、つまり王室の教会でもあり、先日王女が生まれたジョージ王子の結婚式が挙げられた「ウェストミンスター寺院」も国教会の教会です。

書簡の内容はリンク先を読んでいただければわかりますが、私はこれに違和感を感じています。イースター「主の復活日」というキリスト教でクリスマスに並ぶお祝いの日に出された書簡なのに、タイトルが「戦後70年について」。タイトルが「戦後70年について」なのに、「福島の原発」のことにも触れられている。「戦後70年」も「福島の原発」も「イースター」には関係ないし、「戦後70年」と「福島の原発」もまったく関係がありません。なぜ、この関係のない3つのテーマがごちゃまぜになっているんでしょうね?まったく理解不能です。おそらく「戦後70年」や「福島の原発」に関連するメッセージを発信したい意図があったのでしょう。それに「イースター」を利用するなんて、もってのほかと思っています。

実際、教会に行くとお説教の時間に「憲法第9条」「従軍慰安婦」「機密保護法案への懸念」などの話がよくありました。それぞれのことについて、「何がどうあるべきか?」を語るつもりはありませんが、そもそも教会というのは、そういった話を聞くところなのでしょうか?そもそも、教会というのは政治的な意図を発信したり議論する場なのでしょうか?キリスト教の教会へ行く方は、そんな話を期待しているのでしょうか?聖書の話をしてもらいたい、救いが欲しいと思っているのではないでしょうか?「改憲反対」のメッセージを聴くことで「心の平安」は得られるのでしょうか?

私の考え方としては、宗教団体が政治的な事案に関して特定の結論を「組織として」持つべきではないと思っています。これが「政教分離」の原則のはず。もちろん、その宗教の考え方から得られる結論が一致することはあるかもしれません。それは、「宗教上の考え方が一致した結果」であるべきであり、政治的な事案に関する結論は各個人が考えることであって、一部の人間が定めた結論を「組織としての考え方」として発信することは間違っていると思います。

誤解していただきたくないのですが、私は「改憲反対」とか「改憲賛成」という結論が自分と異なることを不満に思っているのではありません。そもそも「そういう議論をしたり、意見を発信することそのものが宗教団体のやることではない」と考えているということなのです。

「信教の自由」「言論の自由」ということが、変な解釈によって歪曲されていることを危惧します。

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